2014年6月12日木曜日

ソフトウェア開発への日本社会の評価が低すぎる

書籍「ソフトを他人に作らせる日本、自分で作る米国」を読んで考えたことシリーズ3日目。米国と日本の違いの全般的な方向性として、ソフトウェア開発そのものに対して価値を認めている度合いが、日本はまだまだ少ないように思います。

日本において、形のないもの・直接目で見ることができないものに対する評価の低さは、何もIT業界に限った話ではないと思います。他の業界でも「ソフトウェア的なもの」に対しては、物質として形のあるものに比べて、実際に掛かる労力や手間やコストに対して評価が低すぎると感じることは多々あります。率直に言って、ソフトウェア開発者の社会的地位は、本来であればもっとずっと高くてもおかしくないと思っています。

これは推測に過ぎませんが、まず、ソフトウェア開発が本当に重要な役割を担うようになったのは最近のことで、ただでさえ意識の変化がゆっくりな日本人はついてこれていない可能性があること。そして日本は一度戦争でインフラをガッツリ失った後に急激に再構築していますので、ソフトウェア的なものよりもハードウェア的なものに対する評価が高くなりやすい時代があったこと。などの理由が重なって現在のような状態になっているのかもしれません。

今後、ソフトウェア開発はもっともっと社会の中で重要な役割、根幹を為す要素となっていくはずです。その時には日本人の意識も変わってくると思っています。

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